時は享保2年(1717年)八代将軍徳川吉宗公が、隅田川沿いに桜を植えて憩いの場を作り、庶民に花見を推奨しました。これが享保の改革の一環です。
しかしこれには少々誤算がありました。大量に出る桜の木の落ち葉です。当時隅田川沿いの長命寺の門番をしていた山本新六はこの落ち葉の処分に悩んだ末、桜の葉を塩漬けにして小麦粉の皮で餡を包んだお菓子を考案しました。これが「桜もち」の誕生で、江戸の庶民に大人気となりました。滝沢馬琴ら編の江戸時代の随筆集、『兎園小説』によると、同店で1824年の1年間で消費された桜葉は31樽、桜もちにして約38万個分だったそうです。
関東風は「長命寺」または「長命寺餅」と呼ばれており、関東ではこちらが主流ですが、一方関西風は道明寺と呼ばれており道明寺粉(もち米を蒸して乾燥させ粗挽きしたもの)で皮を作り餡を包んだお餅です。道明寺粉のつぶつぶした食感が特徴で、「道明寺」または「道明寺餅」と呼ばれています。道明寺粉の由来は大阪にある道明寺からきています。道明寺は、戦国時代から武士の携帯食として糒(ほしいい)を作ることで有名になり、寺の名を取って糒のことを道明寺と呼ぶようになったようです。
美味しい「桜もち」でお茶一服召し上がれ。